コーヒーの歴史
コーヒー(アラビカ種)の原産地はエチオピアです。
現在確実に遡れる限りでは、コーヒーを飲み物として常用し始めたのは、アラビア半島の南端のアデン近郊で15世紀半ばごろになります。
コーヒーは15世紀末にはアラビア半島南岸のモカ、中西部のメッカさらにメディナ、1510年ごろにはエジプトのカイロ、1517年にトルコに伝わります。
コーヒーの普及はカフェインの「覚醒」効果を元にしています。
まずは、イスラムの僧侶に宗教行事の中で利用されます(夜通しの祈りの儀式)。
イスラムの世界で、一般の人々がコーヒーを楽しむようになるのは15世紀末のメッカに始まり16世紀後半にはコーヒーはほぼイスラム圏全域に広がりました。
そして、西欧諸国との接触のなかで、イエメンのモカ港から独占輸出される時代が続きます(15世紀半ばから18世紀初頭まで)。
ヨーロッパ、アメリカでの飲用の広がり
ロンドンでは、1652年に最初のコーヒーハウスが開業し、1683年にはロンドン市内のカフェは3000件を数えたと言われています。イギリスでは近代市民社会の発展に大きな役割をはたします(ペニー・ユニバーシティ、1ペニー払えばだれでも参加できる市民コミュニティー)。
フランスでは1686年、初めての本格的カフェが登場します。フランスのカフェは18世紀、黄金時代を迎えます(近代知の発信基地)。1788年のフランス革命の幕はカフェのテラスでの演説から始まります。
ヨーロッパではコーヒー以前は、朝からビール、ワイン等を飲んで仕事をしていたようです。 コーヒーの普及で、酔っぱらって仕事をしていた状態から「覚醒」した状態で仕事をするように変わっていき産業革命に突入して生産性の向上、大量生産の実現へ貢献します。
アメリカは当時イギリスの植民地でイギリスから紅茶を輸入して飲んでいたのですが、高関税への反発によりボストン茶会事(1773年)で紅茶が焼かれた以降、紅茶からコーヒーを飲む国へ変わっていきます。
コーヒー栽培地の広がり
また、この歴史の流れのなかでコーヒ(アラビカ種)の栽培は、原産地のエチオピアからイエメン、イエメンのモカ港からの独占輸出時代を経て西欧諸国の植民地に栽培地が広がっていき、各国の植民地から輸出されるようになっていきます(オランダ、フランスなど)。
イギリスの場合、スリランカで当初コーヒー栽培をしていていましたが、さび病でコーヒーが全滅し(1870年頃)、その後紅茶の栽培に切り替えています。
ブラジルが世界一のコーヒー生産国になるには、ナポレオンが大きな貢献をしています。ナポレオンによる大陸封鎖以前(1806年)、ブラジルはサトウキビを主な輸出品として栽培していました。ナポレオンの海峡封鎖によりヨーロッパへの輸出が途絶えまたヨーヨッパでサトウキビナの代替品がヨーロッパで開発され需要が激減していきます。その流れの中でサトウキビの栽培をコーヒーの栽培に切り替え1830年頃、世界一のコーヒー産地になります。
コーヒーの消費
コーヒーの消費は戦争とも大きく結びついています。第二次世界大戦中、アメリカではコーヒーの最優先供給先は軍隊となりました。戦線で戦う軍人の戦意を保つために戦線の最前線にコーヒーは供給されます。アメリカ軍では戦線に焙煎機も用意され新鮮なコーヒーが供給されていたようです。
家庭でのコーヒーの普及ですが、コーヒー生豆を購入して家庭で主婦の方が自家焙煎する形態が長らく続きました。大量焙煎できる焙煎機の発明(1864年「バーンズ焙煎機」)により焙煎業者があらわれ焙煎した豆を購入することが普通になっていきます。またこれも主婦の家庭での家事を削減することにつながり、女性の社会進出を後おしする一因ともなります。
スペシャルティコーヒー
コーヒーの歴史で、風味(味わい)が注目されるようになったのは、エルナ・クヌッセンさんが1978年にフランスで開かれたコーヒー国際会議の席上で「スペシャルティコーヒー」という表現を初めて使用して以降と言われています。「特別な気象・地理的条件が、ユニークな(特別な)風味(フレーバー)を有するコーヒーを生む」という提唱でした。
日本でこの言葉、概念が普及していくのは2000年前後からのようです。(2003年 日本スペシャルティコーヒー協会)設立)
日本のコーヒー
日本では、1888年に初めてのカフェが開業します。スペシャルティコーヒーの概念が提示される以前から「コーヒーを美味しくいれる」文化があり、一般的なコーヒー豆でもネルドリップやハンドドリップで丁寧に入れることで、美味し頂く工夫がされています。ハンドドリップで入れる文化は、現在、日本から海外に逆輸出されています。